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メディオロジー入門 原 宏之
第2回[導入]■メディオロジーの問い:付録2

[付録:語彙集トランスミッシオンについて資料文献

トランスミッシオンについて
「トランスミッシオンという用語の下には、集団的記憶のダイナミクスに関係するものすべてを分類し、コミュニケーションという用語の下には、ある瞬間におけるメッセージの流通を分類することになるだろう。もうすこし対立を緩めていうなら、コミュニケするとは、同一の空間―時間の圏の内部で情報を空間のなかで輸送することであり、トランスメットルするとは、異なる空間―時間の圏の間で情報を時間のなかで輸送することだといえるであろう。」(Régis Debray, Introduction à la médiologie, p.3

 *上記の定義は、ドゥブレが繰り返し行っているものであるが、ここにはいくつかの前提が込められている。まず、トランスミッシオンは「歴史」の次元を広げるものであり、従来のコミュニケーション研究の共時態モデルが暗に批判されている。また、(初期の)メディオロジーは、上部象徴構造/下部技術構造の区別を立てる技術決定論的な土台理論を考えていた。そこでは、プラクシスの領域(主体間関係)/テクネーの領域(主体―客体関係)という区別が敷かれる。この視点から、記号学・語用論的なプラクシスの理論が批判され、伝達を行うには技術体の使用が必要であり、この技術体の発展・変化が文化の変容に影響をもたらすことが主張される。この段階では、歴史の次元に「文化/技術」というふたつの領域が設定され、後者が前者の決定要素であるという技術決定論的なテーゼが展開される。敢えて技術決定論的な視座を主張する背景には、コミュニケーション研究が、象徴のレベルでの交換しか考慮せず(彼の理解では、「語用論的・間主体心理学的」)技術を無視してきたことへの批判がある。
 ドゥブレは、「社会」と「文化」という区別を用いていて、前者が「(相互)接続」により一定の共時的システムを維持するものであるのにたいして、後者は「連続性」によって過去と現在を結ぶ歴史的地平であるとしている。この歴史的地平を創るものが、技術の運用に助けを借りたトランスミッシオンだということになる。(IM:3)だが、決定的な相違は、トランスミッシオンが集団の組織による制度的な伝達だという点にある。*制度とは、精神的に個人を帰属集団に結びつける「心的装置」と系譜や縁組みのあらゆる関係を司る法的規則を決める「法的装置」の結合から成る「系譜装置」だと説明されている(IM:5)。ドゥブレの批判は、「コミュニケーション社会」の幻想が、コミュニケーション機械に注目するあまりにトランスミッシオンの本質を忘れさせ、空間の征服を達成しながらも、時間にはますます支配されるがままになるという事態をもたらしている点に向けられる。技術的発展に、制度の発展がついてゆけないために、MOとOMの不均衡があるというのである(IM:6)。たとえば、これは集団的記憶の危機といったものに表れていて、記憶技術の発展に対して記憶する人々がついてゆかない一種の失記憶症の状態にある。[8]

(表1 コミュニケーションとトランスミッシオン)
  コミュニケーション トランスミッシオン
時間のスケール 短時間、共時態
アクチュアリティー、速度
長時間、通時態
刻印、永続性
重心 情報
《使用のため》
価値と知
《記憶のため》
配布の媒介手段 技術的装置
MO(matière organisée
装置+制度
MO+OM(organisation matérialisée
時間の性質 同時代の受信者
(共―、あるいは遠隔―存在)
 
同時に−共に−ある存在
後世の宛先
(ひとつの系譜への共―所属による)
連続的に−共に−ある存在
社会上の類縁 諸企業と諸《権力》(市場の論理) 諸制度と諸《権威》(営利目的ではない)
隣接の学問科学 社会学と社会心理学 歴史学と人類学
象徴的次元 絶対必要ではない(個人間のプラグマティックな結びつき)
《要求》の枠
必要不可欠(世代を超越した結びつき)
《責務》の枠
一般に考えられる場所 テレビ、新聞、ラジオ、インターネット、セルフ−メディアなど。
ネットワーク
美術館、図書館、学校、教会、アカデミーなど。
目印
関連語 世論、合意、オーディエンス、説得、インパクト、公共性、ジャーナリズム、インタラクティヴィティーなど 記念碑、遺産、アーカイヴ、宗教、イデオロギー、教育、文化財、系譜など
有効な期限 同時代
(産業的可変項)
全時代
(累積的不変項)
失墜の仕方 「そりゃ骨董的だ、もう知っているよ」 「そんな新しいものは、長くは残らないよ」
典型的な讃美 「素晴らしき聴衆!」 「素晴らしきレジスタンス!」

(Debray, [IM]より)

《別の視点から――トランスポーテーション》

 コミュニケーションの語は多義的なものである。「コミュニケーション」の内容は、各学問分野で扱われ方が異なる。マスメディア、企業コミュニケーション、対人コミュニケーション、通信、広告など。「コミュニケーション」は、空間内の(情報の)輸送・移動を指して、「トランスミッシオン」は時間のなかでの伝達・影響力行使・伝承を意味すると、ドゥブレは、再三に渡っていっていた。彼は、「非物質の理論」である「記号学」と「コミュニケーション研究」を主要な攻撃先とする。ドゥブレが理解する「コミュニケーション」の語は、後者における「発信者−受信者」モデルである。

 「トランスミッシオン」の語を用いる利点は、「力の伝達」や時間軸(歴史性)の強調にとどまるものではないように思われる。英語圏では、コミュニケーションのイマジネールが拡大している。グラムシとスフェーズを敷延して、ピエール・ミュッソはつぎのようなことを述べている。アメリカが、マネジメントや各種工学を通して具現される企業型・コミュニケーションの世界だとするならば、ヨーロッパは、記憶の重みに疲弊する国家型・トラディシオンの世界だと。コミュニケーションは、歴史ではなくて、共同性を基本とする、と。「ヴァーチャル・コミュニティ」という語がそれを端的に表している(communicatioの共同・分有・参加の概念)。

 さて、communication(仏)に代替可能なもうひとつの語にtransportationがある。メディオロジーの周辺の研究者たちは、近代国家の成立と交通網・通信網の拡大の関係や、自転車と国土の関係など、トランスポーテーションの問題も積極的に扱っている。どちらの語も日本語に移しにくいものである。福澤諭吉が「民情一新」で、「交通」の語を用いるときには、ふたつの対象が混在しているように思われる。ひとつには、道路や鉄道などの「トランスポーテーション」で、もうひとつはジャーナリズムや電信、郵便などの「コミュニケーション」だ。この問題系からは、表象文化論での李孝徳氏の論文が思い出される(「大航海」no.17)。徳川幕府は危機管理の問題から交通を制限していたのに、明治政府は交通網の拡大により中央集権化を進めたという論考である。

 メディオロジーでは、「トランスポーテーション」と「トランスミッシオン」は区別されている。けれども、両者はアーティキュレートされねばならないとされる。ドゥブレは、「痕跡のメモライゼーションと人間の移動locomotionは切り離せない」という。(CMG:238)その前提は、特定の「メディア圏」は特定の空間/時間を組織するという考えである。「メディア圏」は、ある「速度の体制」(ヴィリリオ)に特徴づけられるのだが、「速度の体制」は歴史のなかで、技術的に決定されていて、知的・社会的には決定していると彼はいうのである。そこからメディオロジーの課題が生まれる。「伝達作用transmissionの革命の歴史と輸送transportationの革命の歴史を比較検討すること」がそうである。古典的な例では電信と鉄道、また電話と自動車、ラジオと飛行機などがあるだろう。

[付録:語彙集トランスミッシオンについて資料文献

[8] 「さらに、コミュニケーション行為なるものがあるとしても、トランスミッシオンはつねに列processionを成したひとつのプロセスである(ギリシア語のparadosisは伝統と訳される)。伝統は世代と関係し、[…]トランスミッシオンは教育によって始まるのである(父―子、師―弟子、教師―生徒、親方―見習い工)。いずれにしても、トランスミッシオンは規則正しい連続に従って時間のなかで展開されるのであり、そこには順を追って段階ごとに発展する定められた約束事とヒエラルキー、儀礼的なしきたりがある。このことは、(後任者、後継者、遺言執行人などの)指名や修行、加盟、採択の儀式が構成する厳格な手続きに見ることができる。」IM:4


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